・[体験談]スカートをはく息子と母親の手探りの子育て
・[体験談]スカートをはく息子と「男らしい」父の役目
ブログを始めた当初から今まで、デュロン夫妻の子育てに対する批判は変わらずあるのですが、批判の内容は思いがけない方向へ変わってきているようです。母親のローリーさんのブログから紹介します。
The New Gender Binary | Raising My Rainbow (2016)
ここ数年、アメリカではトランスジェンダーの可視化と理解が進み、ケイトリン・ジェンナーやラヴァーン・コックスのような有名人も登場してきました。ローリーさんはそのことをとても喜んでいます。
アメリカがようやくジェンダーについて話しだしていた。その複雑さ、その流動性、その個別性を。一般の人々が、もしかすると、きっと、願わくは、ジェンダー二分法[*]のバカバカしさを理解しだしたのだ。*ジェンダー二分法(gender binary)…人を男か女かの2種類で分ける考え方。性別二元論などさまざまな訳語がある。
何年もの間、私は家族の物語を共有してきた。それは人々がジェンダーについての考え方を少し緩めてくれるよう、また、ジェンダーの流動性を許容し、ただ男性的なだけでも女性的なだけでもない人を支持してくれるよう願ってのことだ。人は[男女]両方でもいいし、どちらでなくてもいい、独自の組み合わせでもいいし、日や時間によって変わってもいいのだ。
トランスジェンダーが受け入れられる社会なら当然、息子さんのような子にとっても生きやすいはずだという期待もありました。しかし、そうはなりませんでした。
ブログを始めた当初、デュロン夫妻に寄せられた批判は、「男の子にスカートをはかせるなんて虐待も同然だ。親としての務めを果たすべきだ」といったものでした。しかし今は、「ちゃんと女の子の名前で呼んで、女の子として育ててあげるべき」といった批判が来るようになったのだそうです。
彼らは私の息子がトランスジェンダーで、私がそのことを尊重していないと断言するのだ。
ローリーさんはそうした反応にトランスジェンダーへの理解の高まりを見いだしながらも、同時に困惑しています。
確かに医者から社会的な性別移行を勧められたこともありましたし、本当にトランスジェンダーなのではないかと真剣に考えたこともありました(*)。でも今はそうは思っていません。
* Trust Your Mom Gut | Raising My Rainbow (2015)
息子はスカートをはくのが好きで、リップグロスもキラキラしたバレエシューズも、それから(今のところは)[ピアスではなく]クリップ式のイヤリングも好きな男の子だ。トランスジェンダーの意味も分かっているし、2人の友達と数え切れないほどの大人が性別移行するのも見てきた。*ジェンダー・ノンコンフォーミング(gender nonconforming)...既存の男らしさや女らしさに従わない/合致しないこと。定着している訳語はないようです。
自分はトランスジェンダーではないと息子は主張する。彼は自分をジェンダー・ノンコンフォーミング[*]だとみなしている。息子が言うには、彼は女の子の物だけが好きで女の子のように扱われたい男の子なのだそうだ。周りの人から話しかけられたり自分が話題になったりするときに女性代名詞で呼ばれるのは好きではない。彼は自分の男性の体も大好きだ(9歳の男の子なりに)。
息子さんが「男の子」という枠からようやく解放されたと思ったら、今度は「トランスジェンダー」という枠に押し込められようとしている。ローリーさんは、今の状況は「男vs女」という二分法が「シスジェンダー(*)vsトランスジェンダー」という別の二分法に移動しただけではないか、と感じています。そして、そうした二分法そのものを越えたいのだと言います。
* シスジェンダー:トランスジェンダーの対義語。出生時に診断された性別と性自認が一致していること。
次の社会運動を起こしましょう。こんなふうに言える社会を目指すんです。
「ねえ、あの人が男性なのか女性なのか、両方なのかどちらでもないのか、私には分からない。 じゃあ、単に一人の人として接することにしよう」
「私の脳はあの人を女性代名詞で呼ぶよう言ってるけど、あの人は男性代名詞を使ってほしいと言ってる。じゃあ、男性代名詞を使おう。だって私には重要なことじゃないでしょ⁈」
「あの男、スカートを履くのが好きなんだって。いいね」
どんな二分法も信じることなく、すべての人のふたつとないジェンダーの旅を尊重しましょう。二分法を打ち砕いて、もうこれきりにしましょう。
《関連》
【オピニオン】子どもの性別違和感、親はどう対応すべきか|ウォール・ストリート・ジャーナル(2016)
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