スカートをはく息子を肯定する母親のブログが賛否両論を集めるなか、父親への疑問や批判も起こりました。息子が女性的なのは父親が男としての手本を示していないからだとか、父親が「隠れゲイ」だからだとか、ブログや記事のコメント欄には様々な憶測が飛び交います。その返答も兼ねているのでしょうか、父親としての思いを綴っています。
My Son Wears Dresses; Get Over It |The Atlantic(2013年)
マットさんは自他ともに認める「男らしい男」です。体育会系の家庭に生まれ、学生時代は野球とフットボールをプレイ、その後消防士を経て警察官になり、今は刑事として新人教育に当たっています。
好きなものはビール、クラシックトラック、パンクロック、バイクに乗ること、仲間たちとのスポーツ観戦。
同性愛やトランスジェンダー、女性的なものとは無縁の世界で育ち、それを疑問に思うこともなかったそうです。
アスリートとして、消防士や警官として、多くの時間をロッカールームで過ごしたマットさんにとって、同性愛蔑視やトランスジェンダー蔑視の言葉はごく当たり前にあるものでした。
しかし、奥さんのゲイの兄弟と出会い、また、「女の子の心を持った息子」を持ってからというもの、そうした言葉に敏感になり、不快に感じるようになります。
ときには注意をすることもありますが、「ただのジョークじゃないか」といった返事が帰ってくるばかり。
誰かを貶めたり自分を優位に立たせるためにそうした言葉を使うのは、ゲイや女性的な男を劣った存在だと言っているようなものだ。今はそうした言葉を聞くと、息子や息子のような人を劣った存在だと言われているように感じる。それには我慢がならない。辞書を引け。新しい言葉を学べ。
マットさんにドレスを着てメイクをする息子がいて、しかもそれを受け入れていると知ると、周囲の男たちは驚き、中には拒否反応を示す人もいます。
マットさんは息子に変わってほしいとは思っていません。もう一人の息子と同じく特別で大切な存在です。息子を無理矢理「男にする」ことはいじめであり、それこそ男らしくない行為だと考えています。
ただ、否定的な態度を示す人たちも、本気で議論しようとか自分の立場を守ろうとかするわけではないので、すぐに意見を引っ込めるようです。
マットさんは息子にマニュキュアを塗ってやることもあります。みんなにからかわれないかと息子が不安に襲われたら、急いで落とすこともできます。それが身を守るための息子の決断ならば尊重します。でも、本当は落としたくありません。できることなら息子の後についていって、からかおうとする子供たちを睨みつけてやりたいと思っています。
他の子と違う、いじめの対象になりやすいとされる子供を愛するのは、父親としての役割であり、まともな人間としての役割だ。
奥さんがブログを始めてから、同じような境遇の親たちから多くのメールが届くようになりました。その中には苦悩する父親たちからのメールもあります。
彼ら一人一人に同情する。私もそうだった。ものすごく苦しんだ。そして、ものすごく成長した。しかし、父親からのメールよりもはるかに多く、シングルマザーからのメールが届きます。女性的な息子に耐えきれず父親が出て行ってしまうからです。
頭に来るが、それが現実だということも知っている。(中略)できることならその父親たちと話をしたい。その子供たちの力になりたい。
寄せられるメールにはマットさんへの批判も多くあります。女性的な息子を許せず、子育てに関わっていないと思われているのです。
私はここにいて、父親としての役割を果たしている。息子を変えたいとは思わない。愛したいと思っている。息子がスキップしたりドレスをひらめかせたりするのは強い男性像の欠如ではない。むしろ強い男性像が十分に与えられ、息子をしっかり守り、創られたとおりの人物に育つことを許している、その証だ。
私は「男らしい男」かもしれないが、だからといって息子がそうである必要はないのだ。
《関連資料》
・「性別不合」の子どもとは? |NPO法人 LGBTの家族と友人をつなぐ会
・Q. 2歳3か月の男児。女の子のように振る舞い、性同一性障害ではないかと不安です。 (2009.12) |赤ちゃん&子育てインフォ
・[文献]子どもの性同一性障害を考える |Anno Job Log
《ブログ内関連記事》
・スカートをはく息子と母親の手探りの子育て
↑お母さんであるローリーさんのエッセイ。
・[体験談]息子はスカートもメイクも好き。でもトランスジェンダーではありません
↑2016年のローリーさんのブログから。
・うちの子、性同一性障害?と思ったら