What I Learned About Love When My Daughter Came Out | Huffington Post (2015)
サンフランシスコのシンガーソングライター、ステイシー・フレネス(Staci Frenes)さんは、保守的なクリスチャンとして育てられたわりには同性愛について理解があると自負していました。友人には同性愛者でクリスチャンという人も多く、彼らに対して寛容で理解ある友人として接してきました。でもそれは表面的なものだったと振り返っています。
しかし心の奥底では、恥ずかしながら、ゲイ[同性愛者]の友人たちと自分との間に道徳的な裂け目を作り上げていた。私のいるほうが正しい側で彼らがいるのは間違った側。いざとなれば聖書の一節や一章を引用して、彼らの選択やライフスタイルがいかに間違っているか、いかに不完全でいかに罪深いものか指摘できただろう。それは使う必要のない秘密の武器を持っているようなものだった(やはり誰のことも傷つけたくはなかったから)。それを手にしていると知るだけで、少し安全・安心で道徳的に正しいと感じることができた。
そんな自分に気づいたのは、(元記事掲載時から)5年前に当時17歳の娘アビーさんから同性愛者だと告げられたからでした。女の子相手に失恋した苦しみをひとりで抱えきれなくなったアビーさんから打ち明けられ、2人で声が枯れるまで泣いたそうです。
突然、「私たち」と「彼ら」を隔てていた裂け目が私にとって汚らわしく、ありえないものとなった。私たちが話題にしていた[同性愛者という]のは私の娘のことだったのだ。9カ月のあいだ肋骨の下、心臓の近くに抱いていた、血肉を分けた我が子のことだ。
とはいえ、すぐに考え方を切り替えられたわけではありません。ステイシーさんは自ら作り出した裂け目に『愛の力で真っ逆さまに突き落とされ』、そこで格闘します。
手がかりを求めて聖書を読み返したりもしましたが、最終的に平安をもたらしたのは神学ではなく、アビーは自分の子供だという事実でした。
彼女は私たちであり、私は彼らなのだ。皆、愛情や親密な関係、救いを必要としていることに変わりはない。※太字強調部分は原文では大文字表記。
娘の本当の姿を受け入れるために手放さなければならないものもありました。
カミングアウトから数年後、ガレージの整理をしていると自分のウェディングドレスが出てきました。それはいつの日か娘に譲り渡そうと大切に保管しておいたものでした。思いがけず嗚咽がこみ上げてきたことに自分でも驚いたといいます。
私のウェディングドレスは娘に望むすべてを象徴していた。すてきな男性との結婚、共に生きる人生、子供たち。
娘の夢(そして私の夢)を手放すのは耐え難いほど苦しかったが、手放してしまえば、娘をよりよく愛せる自由を感じた——娘が彼女自身のために選ぶ未来がどんなものであろうとも。
アビーさんのカミングアウトがステイシーさんにもたらしたのは、自分自身と向き合うことでした。それは非常につらいものでしたが、ステイシーさんは必要な過程だったと考えています。
あなた方[同性愛に否定的なクリスチャン]と聖書の一節を巡って議論したくはないし、先天的か後天的かという言い争いもしたくない。
アビーのカミングアウトは私の心を砕き、大きく広げてくれた。苦悩する娘の痛みと、私自身の共感や理解の欠如を痛感させられた。
私はあなた方の心も砕かれるよう祈っている。時にはそれが愛することを学ぶ唯一の方法なのだ。
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ステイシーさん(右)とアビーさん(左)の親子デュエット
A Life That's Good (cover) Staci Frenes & Abby Frenes |YouTube
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