2019年7月26日金曜日

ビットコイン業界で活躍するベトナム移民、ジミー・ウィンが忘れられない母との会話

[画像]ベトナム国旗
ビットコイン業界の有名(らしき)人に、ジミー・ウィン(Jimmy Nguyen)という人がいます。
16歳で高校卒業、19歳で大学卒業、22歳でロースクールを卒業し、弁護士としてデジタルテクノロジー業界で20年以上活躍しました。

その後、ブロックチェーン(ビットコインを支える重要な技術)の開発を行うnChain社に入社し、一年ほどCEOも務め、現在は同社の戦略諮問委員会の会長や、ビットコイン関連団体「Bitcoin Association」の創業社長などを兼任しています。

経歴は華やかですが、ベトナム移民でゲイだということで苦労もしてきたようで、ダイバーシティ(多様性)も重要なテーマのひとつに掲げています。
今回は、2014年の母の日にハフポストに掲載されたエッセイを取り上げてみます。
A Vietnamese Mother's Story to Her Gay Son | HuffPost (2014)

ジミーさんはベトナム戦争末期のサイゴンで生まれました。1975年4月のサイゴン陥落直前、両親は4人の子供を連れて国外脱出し、アメリカに移り住みます。ジミーさんが2歳の時でした。

アメリカではベトナムからの移民として常に疎外感を感じ、さらにゲイだということが追い打ちをかけたといいます。学業に専念することでアメリカで成功を収めましたが、半面、両親とはあまり深い関係を築いてきませんでした。
私がアジア人家庭のゴールデン・チャイルド[誰からも好かれる出来のいい子供]の典型になるための超特急に乗っている間、両親とのコミュニケーションはそれほどオープンではありませんでした。ですから、ゲイとしての私生活について話すというのは、あまり快適度の高いものではありませんでした。長い間、両親にはカミングアウトしませんでした。世代も違う、保守的なアジアの国出身の両親がどう反応するか、懸念があったからです。

30代の頃、一生を添い遂げるつもりで付き合っていたパートナーがいたため、彼を両親に会わせる決心をしました。ジミーさんにとって誤算だったのは、「洞察力に満ちた姉妹といとこ」のおかげで、両親はすでに息子がゲイだと知っていたこと、そして、両親の受容度の高さを過小評価していたことでした。両親はすぐにパートナーを家族として受け入れ、以降、ジミーさんと家族の仲も深まっていきました。

しかし、恋人が家族同然になったことで新たな問題が生じます。
2009年になって急に2人の関係が崩壊した時、両親に話すのを恐れました。恋愛の失敗をどう説明すればいいか、そもそも説明すべきなのか悩みました。両親はがっかりするのではないか、あるいは、私が失敗してしまったと考えるのではないか。

しかし、ジミーさんはまたしても両親、とくに母親を過小評価していたと気づくことになります。
ある日、両親がいるキッチンで、パートナーと別れた理由など詳しくは言わず、もう一緒ではないことだけ伝えました。すると母親は、ベトナム語なまりの残る英語で、自分の話を始めました。
「ママの話をするね。パパと結婚する前、ママには他の男がいたの。その男はママを捨てて他の女のところへ行ってしまった。ママはとても悲しかった。でもその後、ママはパパを見つけて結婚した。あの男は今、年老いて、車椅子に乗って、老人ホームでよだれを垂らしてる。彼と結婚してたらママは今頃よだれを拭く羽目になってたと思う。でも今、ママにはパパがいる。パパはママの料理を手伝ってくれるし、家の掃除も手伝ってくれる。だから、ね、すべて上手くいくよ」

その後の一言は傑作でした。
「それに白人はすぐ気が変わるから」
私が別れの原因について何ひとつ話していなかったことを考えると、これは極めて正確な見解でした――少なくとも、実際に何があったのかを知る者たちにとっては。(白人の人たちをひとくくりにはできないと母に教えるのは別の機会に譲ることにしました)

このキッチンでの会話はジミーさんにとって忘れられないものとなりました。彼はこの時、母親から深い教訓を得たといいます。
まず、親が子供の幸せを望むときの懐の深さというのは底知れず、子供は絶えず驚かされます。
次に、親には親自身の人生の物語があって、子供から自分の話をして親の話を引き出さない限りは、聞く機会がないかもしれません。

そして最も重要なこととして、愛や心の痛み、再生といった感情の旅は普遍的なのだと気づきました。こうした感情は私たち皆が旅していくものなのです――あなたがストレートでもゲイでも。ベトナム人でも、ベトナム系アメリカ人でも、または単なるアメリカ人であっても。ふたつの異なる国でふたつの人生を過ごそうと、ここアメリカでひとつの人生を過ごそうと……そして、カリフォルニア州セリトス[両親の現住所]出身であろうと、ベトナムのサイゴン出身であろうとも。

キッチンでの会話から5年たった今回(記事掲載時)の母の日には、現在のボーイフレンドを連れて帰省する予定です。ジミーさんは、今年は両親のどんな思い出話が聞けるか待ちきれない、と締めくくっています。

*****

《関連》
ジミーさんがYouTuberとしても活動していた頃の動画。
当時ネットで話題になった手紙(親がゲイの息子に宛てたもの)を紹介し、自身の体験も少し語っています(2014年)

《ブログ内関連ページ》
重力波を検出したLIGOの天体物理学者Nergis Mavalvala