アメリカの女性誌『Woman's Day』に掲載された記事で、ジーナさんへの取材をもとに一人称で書かれています。
できるだけ短くまとめようとしましたが、それでも長めです。
What It's Really Like When Your Daughter Becomes Your Son | Woman's Day (2015)
キリスト教徒のジーナさんにとって、信仰は幼い頃から日常に根ざし、人生のなかで大きな位置を占めてきました。結婚後も、「なすべきことをなせば、神の祝福が与えられる」という信条のもと、伝統的な価値観の家庭を築いてきました。
1994年、第二子となるカイル[※現在の名前]が生まれます。カイルは幼い頃からおてんばな女の子(「だと思っていた」)でしたが、ジーナさんはあまり気にしていませんでした。
順風満帆だった家庭に緊張が生じはじめたのはカイルが14歳の時。親友の女の子に執着するようになり、その翌年、同性愛者かもしれないと告げてきました。
「ママ、話がある。○○ちゃんのこと愛してる。」と友人の名を挙げた。
「あの子のことをとても大切にしてるのは知ってるよ。」
「いや、そうじゃなくて。男の子が女の子を愛するみたいに彼女のことが好きなの。私、多分ゲイ[同性愛者]なんだと思う。」
息ができなかった。同性愛は罪だとずっと教えられてきた。私たちはサタンに攻撃されているのだと本当にそう感じた。同時に、10代の反抗なのだとも考えた。私にとって信仰が重要だからこそ、カイルは私が信じるものをあざけっているのだ。
私は努めて冷静に、
「大丈夫、心配しなくていいよ。ママもパパもあなたのこと愛してるからね。」
と言ったように思う(カイルの記憶では、私はもっと張りつめ、うろたえていたという)。
そして私はベッドルームに行き、ドアを閉め、崩れ落ちた。ただ泣き喚いた。私の世界が破裂した。私は[夫の]ニックに電話をかけ「帰ってきて」と言った。それまでそんなことはしたことがなかったし、理由すら言わなかった。彼は誰かが死んだと思ったらしい。
牧師に相談したところ、10代特有の同性愛への憧れだと言われたため、ジーナさんは胸をなでおろしました。そしてカイルが早く元に戻ってくれるよう神に祈り続けました。
その後カイルはガールフレンドと自然消滅し、ジーナさんにとって穏やかな日々が続いていました。
ところがある日、洗車場で不意に「今でもゲイだからね」と言われます。
その頃が私にとってどん底だった。絶えず思い悩んでいた。食事は喉を通らず、夜は天井を見つめ、2、3時間も眠れればましだった。教会の人には誰にも言えなかった。非難される気がしたのだ。私たちは教え通り生きてきたのに、いったい何を間違えたの?
ジーナさんは手がかりを求めて本を読み始めました。カイルを変える方法を見つけるためです。それがカイルを支えることだと信じていました。
目的に反して、見つかった本は同性愛者であることを受け入れたクリスチャンの自叙伝ばかりでした。それでも、その中に求める答えがあるはずだという予感がありました。
そしてある日、お風呂に浸かりながら読んでいた自叙伝の一節に目がとまります。
その著者はこう提案していた。
『あなたのお子さんを変えてほしいと神に頼む代わりに、あなたの心を変えてもらうよう頼んではどうですか?』
それは啓示だった。そんなことを考えたことすらなかった。
私は本を置き、浴槽のお湯が冷めるまで浸かっていた。自分の考えや気持ちを変えるとはどういうことか熟考した。私にそんなことができるのだろうか? 私は神に語りかけた。
「もしこれがあなたの意図したとおりの娘の姿なら、そして、もしこれがあなたが私に望む娘の愛し方なら、私の心に安らぎをお与えください。」
翌朝、ジーナさんは驚くほど安らかな気持ちで目覚めました。祈りが届いた、これが神からの返答なのだと確信しました。
同時期にもうひとつ大きな出来事がありました。カイルが16歳の頃、ガールフレンドと体を寄せあっているのを相手の両親に見られてしまったのです。激怒した両親はジーナさんに電話し、肉体的暴力さえほのめかしてきたそうです。カイルが「慰めようもない様子で」帰ってくると、2人は抱き合って一緒に泣きました。世間の敵意に直面し打ちひしがれるカイルを見て、親は子供が頼れる存在でなければならないと、自分たちの役割に気づきます。
それ以来、家族のなかで何かが変わりました。カイルは母親を信頼するようになり、お互い率直に話せるようになりました。
やがてカイルは「レズビアンという言葉はしっくりこない」と言い出し、その数カ月後、興奮した様子で、
「ママ、自分がなんなのか分かった気がする。トランスジェンダーだよ。」
と言ってきました。
私はあぜんとしたが、信用して打ち明けてくれたことに安堵もした。トランスジェンダーというのがどういうことか100%は分からなかった。カイルが男物の服を着るという話だと思った。ただ、彼の力にならなければいけないのは分かっていた。わが子の心とつながり直す努力はもう精一杯してきたのだ。再び恐怖や無理解に私たちを引き裂かせるなどありえなかった。
カイルは男性として生きていきたいという気持ちが次第に明確になり、セラピストもまじえて具体的な話をするようになりました。ジーナさんは体を変えるのはもう少し待ってほしいと思っていましたが、多くのトランスジェンダーが間違った体で生きることに苦しんでいると知り、ホルモン治療のための通院に同意します。その時のカイルはこれまでに見たこともないほど幸せそうだったそうです。
カイルは現在[元記事掲載時]大学2年生。国際学を専攻していて、アフガニスタンの子供たちの力になりたいと考えています。
そして私の旅も続く。私たち家族をありのまま受け入れてくれる教会も見つけた。私の子供が地獄に落ちると考える牧師のもとで礼拝を行うことなどできなかった。私は他の人がどう思うかを思い悩む必要はないと学んだ。私は自分の家族に集中しなければならないし、神がいとし子を私たちに託されたことを忘れてはならない。神が私たちをカイルの両親として選んだのだ。
「なすべきことをなせば神の祝福が与えられる」
そう信じて模索してきたジーナさんは、この経験を通してひとつの気づきを得ました。
神の約束された祝福は与えられたのか? 実際のところ、私は最初からずっと祝福されていたのだ。What It's Really Like When Your Daughter Becomes Your Son | Woman's Day (2015)
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