2015年9月24日木曜日

[体験談]娘として死ぬより息子として生きていてほしい

文字画像「体験談」
性的少数者の家族を支援するアメリカ最大の家族会が「PFLAG(ピーフラッグ)」です。そのプロジェクトのひとつに「A Note To My Kid(我が子への手紙)」というブログがあります。ここでは親御さんたちの思いを手紙形式でつのり公開しています。
そのなかから、トランスジェンダーのお子さんを持つ母親の「出産報告のやり直し」を紹介します。

A Letter From Liz To Her Son...And a Very Special Birth Announcement! |A Note To My Kids (2014)

リズさんは19年と半年前(掲載時)に女の子を出産しました。しかし、これまでの子育ては親子ともに苦難の連続でした。
お子さんは非常に幼い頃から「年齢には似つかわしくないほどの大きな不安」を口にするようになり、それは成長とともに悪化していきます。
プリスクール[2〜5歳児が通う幼稚園]前の死に対する恐怖は、7歳で自殺の計画書を書くまでになりました。4年生のときには絶え間ないパニックや不安、災難に対する執拗な強迫観念を終わらせるため、車道に走り出そうとしました。そんな4年生のための精神科医を見つけることはゾッとするほど不可能に思えました。

うつが悪化し入院していた時もありました。そうした最悪の時期、リズさん親子はわずかのユーモアを見つけてはそこにしがみつき、人生を小分けにして1時間ずつ、ときには30分ずつ生きるという方法でなんとか生き延びたといいます。
ですから、私の子供が精神では完全に男性だと知っても、(ものの本に書いてあるように)失いゆく娘を悼む必要はありませんでした。あのかわいそうな娘の人生は、はっきり言ってとんでもなく悲惨なものでした。閉ざされた中で苦しみ生きた人生を悼む必要など感じません。実際のところ、あと1週間でも「娘」であったなら、彼は自殺寸前まで追いこまれていたでしょう。それならば、人[person]というより牢獄[prison]であった女性のアイデンティティに別れを告げる方がいいですし、本当の自分を生きる息子と共に過ごす残りの人生にワクワクしたいのです。

というわけで、私の息子、デニスの「誕生」をお知らせしたいと思います。今回、陣痛はずっと楽でしたし、体重増加も最初のときの半分で済みました。私の隣に座っている息子はこれまでに見たこともないくらい幸せそうです。

今でも名前や代名詞を間違えてしまうことがあるというリズさんは、親でさえこうなのだから、親戚や友人が受け入れるのはさらに難しいだろうと気遣いつつも、それが無理ならフェイスブックの友人登録を解除してくれて構わない、と言います。

そして、同じような立場の親にはこう語りかけます。
似たような境遇にいるどんな親御さんも、お子さんの前に続くいばらの道かもしれない道をいずれ振り返ることができ、お子さんにふさわしいサポートを与えてくれるよう願っています。最終的には実にシンプルな選択だったと思えるかもしれません。息子がこの知らせを伝えてきた少し後で彼に言ったのですが、私の選択肢が死んだ娘か生きている息子のどちらかなら? 私は息子をとります。そして自分は幸運だと考えます。

最後に、息子へ。最初からずっと生きるべきだった人生をあなたがようやく生きている、その姿を見るのが母親としてどんな気持ちか言葉にできません。最近は笑顔や笑い声、冗談がずいぶん浮かぶようになってきたようね。あなたが歩む道の一歩一歩に私がついている。たとえそれが険しい道の時でも。ちっちゃな頃からあなたに言い続けていることを忘れないで。「何があろうとずっと愛してる。」
きっと正しくリンクを張れてないだろうけど、もしうまくいってたら、ケイティ・ペリーの「Unconditionally」[YouTube]を聞いてみて。このケイティ…完璧だから。

私を母親に選んでくれてありがとう。
※訳注:彼の場合、幼少期の不安やパニックなどが性別違和とどの程度関連があるのかは元記事からは分かりませんでした(医学の知識もありませんし)。その辺は留意が必要かなと思います。