映画俳優のヒシャーム・セリーム(ヒシャム・セリム / هشام سليم / Hesham Selim)は1958年生まれで現在62歳。有名サッカー選手のサーレハ・セリーム(صالح سليم / Saleh Selim)を父に持ち、俳優としてのキャリアも長く、とても有名な人のようです。
発端は、5月3日にヒシャームさんが出演したテレビのトーク番組でした。どういういきさつだったのかはわかりませんが、子供の性別移行について語りました。
インタビューの一部を切り取ったニュース動画があります。アラビア語音声。英語字幕。約2分。
英語字幕をもとに大まかに日本語にしてみます。人称代名詞が途中で「彼女/娘」から「彼/息子」に変わるのは英語字幕に沿っています。インタビュアーは映画監督のEnas Al-Deghaidy(إيناس الدغيدي)です。
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娘のヌーラは息子のヌールになりました。
――“息子”のヌール?
ええ。
――どうして?
それは神の御業で…
――いえ、そうじゃなく、どうやって息子になったんですか?
どう言ったらいいか…
――性別を変えたの?
性別変更の途中です。
娘が性別移行を望んだことには全く驚きませんでした。というのも、娘が生まれた時からこの子の体は男の子みたいだと思っていましたから。初めて自分の腕に抱き上げた時すぐに疑問を持ちました。
そしてある日、これは娘の勇敢さだと考えているのですが…特に私たちはこうしたことが困難な社会に暮らしていますから…。ある日、娘がやってきて言ったんです。「私は自分のものじゃない体で生きている」と。
――お嬢さんからそう言われて、どのように受け入れたんですか?
私から言ったのは、ただ「私に何をしてほしい?」と。それだけです。
私たちは子宮の中で神に形作られるのだと確信しています、コーランに書かれているとおりに。
――もちろんです。あなたともお嬢さんとも関係がない。でも、このことを公の場で話すあなたは勇敢です。
――彼の兄弟たちはどんなふうに接していますか?
全く普通です。私たち家族はみな男として接しています…彼は男ですから。
私は息子がこれからも自分の人生を生きたいように生きることを応援しています。
――ありのままの息子さんを受け入れるという点で社会に求めることは何ですか?
社会に対しては受容も拒絶も求められません。私に言えるのは、息子と同じような男の子や女の子、その家族にアラーのご加護がありますように、ということだけです。
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ヌールさんが親に話したのは18歳の時で、現在は26歳です。
Egyptian actor Hisham Selim: my daughter is transgender | Egypt Independent
エジプトで法的な性別変更は可能ではあるもの、手続きは複雑で、許可されるのは非常に難しいそうです(医師だけでなく聖職者の許可も必要とのこと)。現在はフリーランスの大工だというヌールさんも2年前に国民IDが失効したまま、新しいIDは発行されていないそうです。
Egyptian actor's transgender son hopes spotlight on him changes views | Reuters
5日にはドイツの国際放送局ドイチェ・ヴェレのアラビア語放送の番組に親子で出演しました。YouTubeで公開されている番組を見ると1時間のロング・インタビューです。
アラビア語音声。字幕なし。
セリーム親子の公表はエジプトをはじめ周辺諸国で話題になりました。批判もあったようですが、SNSでは数多くの称賛とともに拡散されました。「保守的」だと思っていた親やエジプト社会が肯定的に受け止めていることの方に驚いた、という人たちもいたようです。
Top Egyptian actor and trans son stir debate in rare media appearance | Deutsche Welle
しかし、ヒシャームのある発言に失望した人たちもいました。上記のドイチェ・ヴェレの番組で、司会者から「性別移行が男性から女性のものだったとしても受け入れられたか」と問われ、こう答えたのです。
「正直なところ、そのことを考えると『逆じゃなくてよかった』と思いました。どちらも同じだと信じてはいますが、私はアラブ人として、エジプト人として、男は女よりも強く、地位も上だと信じながら育てられてきました。ですから[性別移行が逆だったら]私にとって間違いなく違ったものになっていたでしょう」
Hisham Selim, famed Egyptian actor, praised over transgender son | BBC
ロンドンに拠点を置くアラブ系報道機関「The New Arab」では、エジプトとレバノンのトランスジェンダー活動家やLGBTQ+団体に取材して中東のトランスジェンダー事情に触れています。
取材を受けた人たちはセリーム親子を称賛しつつも、上のヒシャームの発言は男性から女性への性別移行を「降格」と見なす社会の価値観と、その元にある男女差別を容認するものだと批判しています(*)
また、セリーム家は裕福な有名人一家という特権的な立場にあり、エジプトの一般的なトランスジェンダーとその家族が置かれている状況はずいぶん違うとも指摘しています。
Egyptian actor's support for transgender son unveils a long road ahead for Arab trans rights | The New Arab
* こうした考え方は中東特有ではなく、日本を含む世界各地で根強くある。男っぽい女の子より女っぽい男の子の方が問題視されやすい、というのもそのひとつ。
《後日談》
6月にエジプト人のレズビアン、サラ・ヘガジさんが自死しました。
・拷問と性的暴行の末に…エジプト人レズビアンは自ら命を絶った|クーリエ・ジャポン(有料記事)
・30歳のエジプト人活動家の死 レインボーフラッグを掲げた彼女を追い詰めた拷問|Forbes Japan
エジプトでは性別移行よりも同性愛に対する拒絶感のほうが強いそうで、サラさんに対しても非難の声が大きかったようです。
ヌールさんはインスタグラムに投稿した動画(現在は削除済み)でこの件について触れ、「僕を受け入れながら彼女を受け入れない人は偽善者だ」などと語りました。すると、「エジプトの文化やモラルを破壊し若者に同性愛を広める陰謀だ」として2人の弁護士から訴訟を起こされました。
・Hisham Selim: A lawsuit accusing the Egyptian actor’s son of spreading “homosexuality” after his sympathy for Sarah Hegazy | Saudi24 News (6/24)
・Egyptian actor's trans son sued for Instagram post about LGBT+ activist's suicide | Reuters (6/25)