Photo by CountZ |
2000年8月のある夜、当時34歳だったダニー・スチュワートさんはニューヨーク地下鉄駅構内を急いでいました。ひと気のない改札口の隅に黒いスウェットシャツが落ちているのが目にとまり、そこから小さな人形が足をのぞかせているのも見えました。特に気にするでもなく通り過ぎ、ふと、もう一度目を向けたその時、「人形」の足が動きました。
駆け寄ってみるとスウェットに包まれていたのは赤ん坊、それもへその緒が付いたままの新生児でした。
地下鉄のベイビー・エース
一方その頃、パートナーのピーター・マーキュリオさんは、いつになく取り乱した様子のダニーからの電話を受け取りました。「赤ちゃんを見つけたんだ! 911に電話したけど信じてもらえてないと思う。誰も来ないんだよ。この子を置いては行けない。こっちへ来てパトカーか何かつかまえてくれ」[*1]
ピーターが駆けつけた時には既にパトカーが到着していて、赤ちゃんを引き取っていきました。
生まれたばかりの男の子は地下鉄のA/C/E線で発見されたことから「ベイビー・エース」と名付けられメディアをにぎわせましたが、ダニーたちは家族ではないため面会できるわけでもなく、変わった体験として過ぎ去っていく…はずでした。
※以下、法律に関する訳語や表現が間違っている可能性があります。
裁判官との出会い
数カ月後、ダニーは家庭裁判所から呼び出されました。警察は乳児の母親を見つけたものの、母親が引き取りを拒否したため、乳児が育児放棄の被害者であることを立証する必要が出てきたのです。ダニーは発見者として証言するだけのはずでした。ところが、審理の最後に裁判官の女性がダニーに話を切り出します。「何が起きているかお知らせしたいと思います。育児放棄された子がいた場合、出来るだけ早急に永続的な家庭に預けるよう努めています」
ダニーはうなずいたが何の話かつかめなかった。そこに裁判官が爆弾を投下した。
「この子を養子にすることに興味はありますか?」
ダニーは自分の耳を疑った。そして自分の口から出た言葉も。
「はい。しかし、そんなに簡単なことではありません」
どもりながらそう答えた。
[裁判官]「こうした状況は時間がかかることもあるのですが、その必要はないでしょう。乳幼児が育児放棄された場合、私たちには手続きを効率良く進める権限があります」[*2]
神様からの贈り物?
これは神のおぼしめしだと感じていたダニーに対し、何の相談もなしに突然聞かされたピーターには正気の沙汰とは思えませんでした。ふたりは付き合い始めて3年。劇作家のピーターは生活のために文書作成の仕事もしていました。ソーシャルワーカーのダニーの給料も決して良くはなく、家賃軽減のためにルームメイトと暮らしている状況でした。たとえ経済や後方支援の環境が違っていたとして、ゲイカップルが養子を持ちたいと望んだときにどれだけの困難に直面するかは知っていた。それにダニーは我慢強く自己犠牲の精神に満ちていたが、私は違った。子育てどころかオムツの変え方も知らなかった。[*1]
1週間後の12月上旬に赤ちゃんとの面会が許可された時も、ピーターは感情移入しないよう自分に言い聞かせていました。しかし、抱き上げた赤ちゃんにじっと見つめられ、この子を手放すことを考えると、耐え難い胸の痛みが襲ってきます。
数時間後にはふたりで「ケヴィン」という新しい名前まで決めていました。それは出生児に亡くなったというピーターの兄の名前でもありました。
クリスマスは我が家で
さらに1週間後の12月20日、養子を迎える意思があると正式に回答するため、2人で裁判所に行きました。ケースワーカーからは、自宅学習や育児教室も含めて手続きに9カ月かかると言われていましたが、ここでも裁判官の処理は驚くほど迅速でした。裁判官は、徹底した身辺調査の結果2人が両親として申し分ないと判断したと告げ、クリスマスの週末は子供を連れて帰ってもいいと提案してきました。
「あさっての金曜に迎えに来られますか?」
準備期間は1日しかありませんでしたが、ピーターの家族の協力でなんとか新生児用品一式をそろえ、ケヴィンは生まれて初めてのクリスマスを新しい家族と共に迎えました。
結局、クリスマスを過ぎてもそのまま一緒にいられることになり、2人はしばらくの間ケースワーカーの監督下で里親として過ごしました。
その間、2人がずっと疑問に思っていたことがあります。あの裁判官はなぜダニーに養子の提案をしてきたのか? ダニーがソーシャルワーカーだからいい親になれると思ったのか? 恋人もいるゲイだと知っていたらどうしただろうか?
養子手続きの最終審理で、ピーターは手を挙げ尋ねました。
「裁判官、なぜダニーに養子に興味があるかと聞いたのか、ずっと不思議に思っているんですが」
「直感です。間違っていましたか?」
そう言って彼女は椅子から立ち上がり、私たちに祝いの言葉をかけ、法廷を後にした。[*1]
12年後、裁判官との再会
2011年にニューヨーク州で同性婚が法制化され、ピーターとダニーも結婚の計画を立てていました。「あの裁判官に結婚式をあげてもらったら?」
そう提案してきたのは11歳になったケヴィンでした。
「いいアイデアだ。彼女と会ってみたい?」
「もちろん。僕のこと覚えてると思う?」
「確かめる方法はひとつしかないな」[*1]
裁判官とはあれ以来会っていませんでしたが、家庭裁判所に問い合わせたところ、もちろん彼らのことを覚えていて、結婚式のアイデアも気に入り、快諾してくれました。
2012年7月、10年以上ぶりに訪れた裁判所で再会すると、裁判官はケヴィンを抱きしめ、会いにきてくれたことを喜びました。学校や友達、趣味のことなど、積もる話に本来の目的を忘れそうになったといいます。
結婚式の間、ピーターは4人をこの瞬間に導いた巡り合わせに思いをはせていました。
私たちはここにいるはずではなかった。男2人、夢見てすらいなかった息子を従え、裁判官の手で結婚式を挙げている。彼女がどれほど私たちの人生を豊かなものに変えてくれたか、彼女には知る由もないだろう。[*1]
ケヴィンの駅
ケヴィンが幼い頃、ダニーとピーターは自分たちがどんな風に家族になったのかを絵本にして読み聞かせていました。そこにはもちろん裁判官も登場しています。生みの母親についてダニーは、「子供を手放さなければならないほど絶望的な状況にあったに違いありません」と語っています。
3人で一緒に地下鉄のあの駅に行ったこともあります。ダニーとピーターはケヴィンがどんな反応をするのか少し心配していました。
「今、ケヴィンはあそこにつながりを感じていますから、あの場所を見て、知ることは大事だったのだと思います。つまり、ただの抽象的な話ではなく、自分の目で見て、知って、理解したんです。彼はあの場所に大きな誇りを持っています。あそこは彼の駅、彼の場所なんです。私たちが家族になった場所です」[*3]
出会いこそドラマティックでしたが、2人は他の親たちと同じように、思春期にさしかかった息子の子育てに喜びを感じながら、時折はイライラもしながら、静かな日々を送っています。
《元記事》
*1 We Found Our Son in the Subway |The New York Times (2013. ピーターさんのエッセイ)
*2 Adoption Stories: Miracle on 14th Street |Parents (2004)
*3 A same-sex couple's remarkable journey |CNN (2013. ニュース映像あり)